【多維VS明鏡VS明報・・・たまらんw】
常務委員に続く玉突き人事も注目を集めていますが、香港明報は組織部長に趙楽際、宣伝部長に劉奇葆が就任するという情報を掴んだ模様。さらに、郭声琨が孟建柱の代わりに公安部長に就任する模様。
香港明報


ちなみに李源潮・党組織部長の後任人事に関する見立てについては、多維が王萊(62)・遼寧省党委書記を、明鏡が郭声琨(57)・広西壮族自治区党委書記を(先日のニュースでは趙楽際の名前も出してましたね)、それぞれ有力とみております。


【団派お二人追加です〜】
多維新聞も、明報が伝えた「組織部長に趙楽際(55)、宣伝部長に劉奇葆(59)が就任」という情報を、別ソースから掴んだ模様。これでこの2人は中央政治局入りが濃厚に。
多維新聞


【出てきてくれたら面白いですが】
23日から開催される全人代で代表資格の停止処分が決まる薄熙来ですが、書面で「会議で俺にしゃべらせろ!」と無体な要求をなさっている模様。なお、その要求が聞き入れられる可能性は極めて小さく、26日までに資格停止、来週逮捕、そのまま公判へと突入する模様。
RFI


【というわけで】
第11期全人代常務委員会第29回会議は粛々と開催されている模様。
中国共産党新聞網


【大漁すぎやしませんか?】
先日スペインで起きたマネーロンダリング疑惑に関する一斉摘発でとっ捕まった中国人の中に、主犯格として浙江省政治協商会議委員の高平がいた模様。総額は何と4年で12億ユーロで、現在83名が逮捕されてうち中国人は58名の模様。
江蘇網


毛沢東と同い年って!】
中国の著名な武術家で、霍元甲と一緒に上海の日本軍をぶっ倒したなどの逸話をもつ「長江大侠」こと呂紫剣氏が、重慶市内の病院で死去。享年119(1893年生まれ)。
新浪網
ツイッターhttp://twitter.com/zhxy_519さんから、「龙源甫《宜昌武术记略》(《宜昌市文史资料第5辑》,1986)(の記述)によると、1986年当時は70代でした。」というご指摘頂きました。そうであれば最高でも105歳であり、1893年生まれという説は信ぴょう性が低いようです。


【お決まりのコース】
董潔との離婚騒動でメチャクチャ言われている潘粤明は、弁護士に依頼して董潔事務所に対する訴訟の準備をしている模様。
中国新聞網


【こらアカン(笑)】
福建省に住む女性が瞼を二重にする整形手術を受けたものの、ただのガチャピンになってしまった模様。
手術前のベッピンさんが・・・

手術後はガチャピンに!

手術を受けた高さん:
「今も鏡を見たら泣きたくなっちゃうの!瞼の上の皮がぶあつくなっちゃって、眼を細めたらまるで泣き腫らした時みたいになって、まるで出目金の眼みたい!!それで眼を大きく開いたら、今度はまるで怒ってるみたいな顔になっちゃうの。。。」

病院側は彼女のクレーム対し、「修復手術はするけど、もしこのことを外に漏らしたら業務妨害でこっちが訴えるぞ」と脅してサインをさせたらしく、高さんは先んじてのリークに至った模様。
廈門網


【民主運動家のご意見です】
左派の「薄熙来救済運動」に民主運動家たちが乗っかったという笑撃、もとい衝撃のニュースを目にして、「北京の春」編集長で著名な民主運動家の胡平氏がこれに関する文章を書いていたので、ニーメラーを引用しているのにも惹かれ、つい訳してみました。

薄熙来の人権擁護の公開書簡について」(胡平)
 先日、前国家統計局局長の李成瑞と北京大学法学院教授龔献田など数百名の連名により公表された全国人民代表大会常務委員会宛ての公開書簡は、中国当局の薄煕来事件について、法律上の見地から、また手続的正義(手続きの公正さ)の見地から疑義を呈し、薄煕来事件の内容公開と公正な審理を要求している。李成瑞は香港「アップルデイリー」記者の電話取材に対し、公開書簡は決して薄煕来の罪状を弁護するものではなく、彼の人権を擁護するものだ、と答えたという。

 この公開書簡に署名しているのは、大多数がいわゆる左派、さらには毛沢東時代への回帰を訴える極左といわれる人々だ。過去、彼らの多くが公民の権利や公正な手続きといったものを鼻で笑い、西洋ブルジョワ階級のオモチャと決めつけ、中国共産党国家を転覆させるために用いていると考えていた。しかし今、彼らは公民としての権利・公正な手続きを強調し、人権を擁護する側に立っている。これは大変な進歩であり、何の疑いもなく肯定すべきことだ。

私が李成瑞達の公開書簡を目にして連想したものは、ドイツのプロテスタント牧師マルティン・ニーメーラーユダヤ人の墓碑に記した一句だ。

”彼ら(ドイツナチス党)が最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。


社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。


彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。


彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。


そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。”
マルティン・ニーメラー「彼らが最初共産党を攻撃したとき」)


 問題はまさにここにある。自分が専制国家の暴政による迫害を受けない限り、彼らは公民の権利や公正な手続きといった普遍的な価値を一顧だにせず、他人が迫害を受けても心を動かされることもなく、場合によっては拍手喝采し、水に落ちた犬を打つようなことまでする。近い例で言うならば、まさに薄煕来が重慶で行った打黒運動がそうではないか。打黒運動は暴力団を摘発するところから始まると、またたく間に法を踏みにじり、拷問で自供をさせ、基本人権を無視し、手続きの公正さを顧みることなく行われた。ネットでの暴露は、多くの悪辣な方法がとられ、仮に重慶の公式HPに出ている報道からでも、きっかけを見いだすことができた。しかしそれは新旧左派たちの喝采と応援を妨害することは全くなかった。あの頃は彼らに公民の権利や手続きの公正さを語っても、もとより聴きいれられもせず、何か問題があるかね? というような有様だった。

 これが、王立軍が夜にアメリカ領事館へ駆け込んで発生した薄煕来事件で、少なからず人権擁護派が快哉を叫んだ原因でもあった。なぜなら、自分自身が苦境に立たされることがない限り、この種の人間は永遠に気づくことがないと分かっていたからだ。あの頃ある人が口にした「”唱紅”がアメリカ領事館まで到達し、”打黒”が薄煕来にまで到達した」という言葉にもあったように、反社会勢力の撲滅を主導した薄煕来が、自分自身を撲滅させられたなんて、この世にこんな皮肉なことがあるだろうか?

 多くの旧右派は、これに類する経験をしている。文革が始まり、「すべての妖怪を一掃しよう」がキャンペーンとして始まると、人びとはこれら年老いた”妖怪”達を慣例通り打倒の対象とし、一切を牢獄に押し込んで、さらには殴打し面罵した。しかし運動が進んでいくに従い、驚いたことに、これらの活動の積極分子と領導幹部たちは次々と「黒幫」「走資派」「ブルジョワへの反動路線」などの罪状を着せられて牢獄へ入れられ、逆に快哉を叫ばれることになり、自分の日がもう過ぎ去ったことに気付いたのだ。

 しかしながら、これらの打倒した側の人間が、自分が打倒されることで過ちに気付くのは容易ではなかった。文革が開始されてから、羅瑞卿は反党の黒幫とされ、間もなく秦城の牢獄に入れられた。当時の羅瑞卿は、彭徳懐(が打倒された)の時に屈服しなかったことで自分が牢獄に入れられたと思いこみ、「どうやってアイツらも牢獄に入れてやろうか」と恨み言を述べていた。当時の羅瑞卿は自分が打倒されていることが間違いで、他人を打倒することが正しいと思いこんでいた。そしてその後、羅瑞卿はやっと人を打倒するようなやり方全てが間違っていたことに気づいたのだ。

 現在、多くの新旧左派が「公民としての権利」と「公正な手続き」の意義を知りはじめた。彼らは、まさに薄煕来の打黒のような過去の事例を、この民主的な基準を用いて反省すべきである。公民権利の基準からいえば、また公正な手続きという基準からみても、打黒は疑うことなく誤った捜査だ。酷刑を濫用し、言論を封殺し、薄熙来は多くの中共役人よりも過ちを犯していると言える。

 薄煕来の事件が起こったとき、私はある文章でこう指摘した。「薄煕来事件は共産党=ヤクザである、ということで説明できる。これは打倒された薄煕来だけでなく、さらにその上にいる中共当局にもあてはまる。それに一つ補足するならば、今日の中国には、「左派と右派」「新旧左派」といった区別にあまり意味はない。真の区分はただひとつ、「人権民主か、それとも共産専制か」という違いだけなのだ。」


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