新華視點:兩千人用愛心編織美麗“(言荒)言”
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/politics/2006-03/23/content_4337247.htm

2005年10月23日、吉林省の小学校の運動場で踊りの練習をしていた小欣(8歳)は突然倒れた。病院で検査を受け、医師は「不治の病」であることを宣告した。家族は小欣の治療のために一家で長春に引っ越した。

しかし、小欣の病は悪くなる一方で、脳には水がたまり、頭部は肥大し、さらに両目を失明した。医師は父親である朱徳春に対し「娘さんはもう長くはありません。なるべく彼女の望みを叶えてあげるようにできる限りのことをしてあげてください」と言った。

小欣はいつも父親に北京の天安門広場に行って国旗掲揚を見てみたい、と話していた。これが彼女の望みであった。朱徳春は妻と相談し、すでに娘の眼は見えなくなっているけども北京に連れて行ってあげようと決意した。朱徳春は北京に行くために、家財道具の一切を売りお金を作った。しかしテレビだけは売らなかった。「娘は眼は見えないけども、音を聞くことはできるから。。」

この話を聞きつけた地元の新聞「城市晩報」の記者が、同紙の社会面にてこの件について報道し、反響を呼んだ。一人の会社社長が小欣の北京行きの費用を負担することを申し出た。小欣は北京に行けることを知って大いに喜び、その日を待ち望んだ。

しかし、医師は小欣の病状から、北京行きは危険であると判断した。朱徳春は喜んでいる娘に向かいなんと言っていいのかわからなかった。そして、場所は移動せずとも娘を北京の天安門に訪れたことにする、という今回の方法を思いついた。

「城市晩報」はこの件についても報道し、多くの読者から反響を得た。アイデアもたくさん寄せられた。

「私は東北師範大学の学生です。天安門の観客の役をやりますよ。」
「私は北京訛りが話せます。バスの切符切りの役をやりますよ。」
「私はガイドです。彼女に北京天安門について案内できますよ。」

人口300万人の都市の人々が1人の少女のためにそれぞれ役柄を買って出たり、アイデアを出したりした。

3月20日、小欣の病状が悪化し、時間の猶予が無くなった。住民たちはすぐに行動を開始することにした。

3月22日、国旗掲揚場所に指定された長春市の公共関係学校に数千名のボランティアが集まった。ある人は駅員、ある人はガイド、ある人は観光客、とそれぞれ役割分担をした。

東北師範大学の生徒たちは小欣を疑いの気持ちを抱かせないように、すでに練習をしていた。小欣の近くで、ある学生は、建物の大きさ、道路の広さ、橋の綺麗さを強調した。ある学生はホテルを探すフリをした。ある学生は「清華大学はどうやっていくのですか?」と道を尋ねるフリをし、本当に北京にいるような雰囲気を作った。

13時30分、国旗掲揚の儀式が始まった。小欣はとなりにいる父親に向かって大きな声で「お父さん、私本当に北京の天安門に来たんだね!」と叫んだ。小欣の幸せそうな笑顔を見て、多くの人々が涙した。